「ドアがあっても開かなければそれは壁」
と言う言葉に出会いました
「じゃあ 壁に見えても実は開くドアなのかも」
と
確かに....
👀目は存在するものを映してくれるが
それが思考と結びつかなければ
それが 何か を認識することはない
すでに出会っている
幸せや
人
もの
こと
それをドアなのか
壁なのか 名も知らない物体なのか
を知覚するのはもうひとつの段階が必要で
そこに至らないうちに
過ぎ去るただの景色にしてしまっているの
かもしれない
ドアであるかどうか
壁と何が違うのか
一見壁に見えるものが
それが ドアの取手と認識するのには
visionを常に持って
それに近づくにはどうすればを
考えて
行動している
時のみ
その取手に 気づけるのは
レアであるけれど
visionを持っている人には
必然の出会い
と
ヨガを知り 学び続けて
信じるようになりました
これはもうひとつ違う視点から
語ることもできます
「ドアがあるのをわかっていて開かない」
そういう人がいます
寝た子は起こせるが
寝たふりをしている人は起こせない
のです
ヨガを学ぶとエネルギーの使い方を
制御できるようになります
(まだまだ自分は未熟です)
注力すべきところに注力し
そうでないことからは
離れればよいのです
これもヨガで習ったことのひとつです